わいつーブログ

発達障害(ASD)だけど、生きづらさの克服を目指すブログ

誘う方が有利

こんにちは。

わいつーです。


近くを歩いていた少年達の、会話を元に考えました。


会話の内容を簡単に言うと

少年Aが少年Bを遊びに誘ったけど、少年Bは行きたくなさそう。

しかし、少年Aはノリが悪いだの、何で行かないのだの、説得していた。


結果的にどうなったかはわからないが、この光景を見て考えた。


この世界は、誘った方が有利で、誘われた方が不利になっている気がする。


立場としては平等なはずだ。

しかし、誘うには筋の通った理由を求められないが

誘いを断る場合には、筋の通った理由が求められる。

こんな感じのルールが、ぼやーっと存在する気がする。


行きたいから行こう、はオッケー。

行きたくないから行かない、はダメ。わがままの烙印を押される。


変な世の中だなと思った。


皆さんも疲れている

こんにちは。

わいつーです。


ブログについて考えていたら

当たり前だよ、って内容かもしれないけど、今更気づいた事があった。


それは

ブログのネタが無いのは、インプットが無いからだという事。


仕事で疲れている時は、ブログが書けなかった。

疲れている時は、呼吸が乱れるぐらい本格的だ。


元々は、疲れているから書けないと思っていたけど

振り返ってみると、時間も含めて自分に余裕が無かった場合が多くて

ニュースやSNSをチェックできていない事の方が大きいんじゃないかと感じた。


そんな時は入ってくる情報がないから、どれだけ頭を振り絞っても、ネタが出てこない。

疲れていて振り絞る事も甘いし、振り絞る情報も無いというわけである。


ブログって本来、そういうお堅い物ではないと思うけど

日常の感想を日記のように書いていたら、「疲れた」しか出てこない気がする。



「疲れた」ネタの多い僕ですが、SNSをチェックしていると(特にTwitter

やはりASDADHDの人は、疲れやすいようだ。


疲れやすいというと、身体が弱いというイメージを持たれるかもしれないが、それは違う。

ただ「疲れやすい」より良い表現がないから「疲れやすい」とする。


疲れる理由で、多く目にするのは

日常の行動一つ一つに無駄な力が入ってしまうから。


普通の会話でも、耳からの情報に弱いから聞く事に頭を使いすぎて疲れる。

当事者としては、それぐらい頭を使わないと聞き流したり、話が理解できないのだ。

しかも、これが本人の自覚無しに行われるから、勝手に疲れるし、その疲れを止められない。


元々、疲れやすいのは自分だけかと思っていたけど、そうではないみたい。

と同時に、当事者の皆さんも疲れやすい事に悩まされているのだと。

本当に困ったものである。

続・ハルオサンのブログをよんで

こんにちは。

わいつーです。


先日紹介したハルオサンのブログを、何故か読み返してしまう。

https://www.keikubi.com/entry/2018/10/28/175934

(金銭が発生する等の理由で紹介しているわけではありません)


新たに感じたのは、やはり日本人は仕事で人を評価しすぎだという事。


本当に、仕事の成績や能力・人柄が、個人としての魅力に直結しているだろうか。

ここでいう魅力とは、プライベートな空間や時間でも付き合いたいと思うかどうか。


この物語に出てくる教官なんか、低俗な人物だと思うけど

仕事のうえでは、優秀な人物として教官の立場にいるのだろう。

仮に、友達が仕事上でこのような行為をしていたら友達やめるわ。


発達障害で仕事ができなくても、個人としての魅力がある

と、僕が発達障害を美化している、と疑うかもしれない。


そう言いたいのはやまやまだけど

そもそも、それぞれは直結しないと言っているのだから、美化もクソもない。


ただ、仕事の成果以外は、せめてまともに生きていきたいと思う。

他人のブログを読みました

こんにちは。
わいつーです。

↓のブログを拝見しました。
少し長く感じるかもしれませんが、読んで欲しいです。

自分に当てはめながら、読みました。
平常心ではいられない内容で
なんと表現したら良いか分からない、自分の語彙力の低さに参っている。

僕も、しょうもないミスとか忘れ物をするから
こういった環境であれば、同じ目に会う可能性を考えると、恐ろしい。
たぶん、すぐに辞めていただろうけど。

このハルオサンの場合は
夢や憧れが作用して、なかなか辞められなかったようだ。

あと、これは連帯責任とか厳しさでは無く、ただの暴力とイジメではないかと思う。

そういう世界もあるんだよ、と言われればそれまでですが
その一言で済ませていては、良くならないし何も変わらない。

ただ、一つの職場規模ではなく
日本の、厳しければ厳しいほど良い、というわけわからない風潮から変えなきゃいけない気がするから、実現は遠い。

発達障害も、自分の中から無くなる可能性はほぼ無いけど
腐らずに、少しは改善しようという気持ちで向かいあっています。
実現は遠いけど。

ブルジョワさん

さいたま市の市議会で

障害者の医療費助成に対して、所得制限を設けようと議論していた。

そんな中で
賛成派の吉田議員が、車椅子に乗った伝田議員に対して「ブルジョワ障害者」と言って、問題になっている。

ここでの「ブルジョワ」とは「高所得」という意味だ。

そして
何故問題になっているかと言うと「言い方に品がない」という理由である。

品があるかと問われれば、確かに無い。
無いけれども、何か問題があるのだろうか。

市民に対して実のある政策をしてくれそうだ
という理由で、市議を選んでいるはずで
品の有無など問われてない。

しかも、中身を要約すると
「伝田議員は車椅子に乗っている障害者ですが、市民に比べて高所得ですし、所得制限の対象になりますよね」
言っている内容は、まともだと思う。

仮に問題が拡大して議員が辞任するとなれば、また選挙して税金が使われて、それでみんな満足するのか。

もう細かい事を問題にするのはやめよう。


3700人の水増しでした

こんにちは。

わいつーです。

中央省庁による、障害者雇用の水増し問題について
調査結果のニュースが出てきました。

近眼とか鬱病の人もカウントして、約3700人分を水増ししていたとの事。

近眼も生活には不便なのは分かるし、鬱病が辛い事だって分かる。

でも、今回の件は障害者を対象にしているし、障害は治らないものだから、病気とは別ものである。

結局日本では国家レベルで
数字を達成するだけの見せかけを行なっていたという事だ。

今回は、数字上で障害者を採用していないというニュースではあったが
本当に達成すべきなのは
障害者でも労働する事で、賃金はもちろん
社会に参加している実感を持てる人を、1人でも増やす事だろう。

このような結果をみると
労働現場の環境も、恐らく障害者に配慮されていないのではないだろうか。

障害者が特別だということないけれど
例えば脚が動かなかったり、何ができない等
どうしても配慮が必要な人はいるはずだ。

新たに4000人を雇用すると発表があったが
雇用数の達成だけでなく、労働環境も早急に整えながら、大いに反省して欲しい。

忘れ物は、見つけにくいものです

こんにちは。

わいつーです。

忘れ物について。

僕はADHDの傾向は弱めみたいで、忘れ物はあまり目立たない。
忘れ物しないわけではなくて、たぶん健常者よりも頻度は多いと思う。

「物」としては、ボールペンをよく忘れる。
書いたら、自分のデスク等に置きっ放しにして、そのままにしているようだ。
そして、持っていくのを忘れる。

しかし、これは物量でクリアしている。
移動用の車にも、ボールペンを置いて
カバンの中にもボールペンを入れて
出掛ける時は胸ポケットに入れる意識で、出掛ける。
それでも、それらのボールペンは定期的に補充する必要はある。

忘れ物で困るのは「事」の方だ。
書類の書き漏らしがあったり、何かを数え忘れたり
自分でフォローのしようが無いから、余計に困る。

このような作業中は
他の事を考えていたり、適当にやっているつもりは毛頭無い。
本人は至って真剣に取り組んでいる。
にも、関わらず忘れ事が発生する。

対策という程ではないけれど
個人的には、必要な書類等は一回記入してあとに
数日経ってから、もう一度見てみる。

これは見直しっていう程、気軽なものではなくて、本気で書くつもりでやる。
見直しで忘れ事が発見できるなら苦労しませんね。

後は、数日後っていうのがポイントで、体調も精神状態も違う状況で見る方が、発見できる確率が高い気がする。

もちろん、急ぐ内容には使えません。
そして、なんといっても、数日後に確認する事自体忘れてしまうという。