わいつーブログ

発達障害(ASD)だけど、生きづらさの克服を目指すブログ

電車から遺伝子の話

こんにちは。

わいつーです。


今朝の出来事。


恐らく精神系の障害があろう、20歳後半の男性、身長は180cmぐらい。

1人でブツブツ喋りながら、少し暴れて電車に乗ってきた。


そして、電車に乗るやいなや、男子高校生に殴りかかった。

男子高校生も応戦する。電車内は騒然とした。


男性の方には何を言っても聞こえていない感じだったので

高校生が我慢する形で、喧嘩は終わった。


障害者には配慮をお願いする姿勢の僕だが、周りに被害があるのは良くない。

管理者も、1人で出歩かせてはダメだ。


しかし、この男性は恐らく一生をこのような傾向のまま過ごすのだろう。

それを考えると、同情せずにはいられない。

程度や特徴の違いだけで、僕も同じようなもんだ。


この一生ついてくるというのが、くせものなのだ。

だから、倫理の問題なんかすっとばして、さっさと遺伝子操作できるようにして欲しい。

そして、全ての障害を無くして欲しい。

頼みます。

妄想の中の人物

こんにちは。

わいつーです。


ASDADHDの僕は、感じ方や考え方が少数派?のため、不便を感じている。


しかし、感じ方や考え方の正しさってなんだろう。


例えば、人を殴りたくてしょうがない衝動を持つ人がいたとして

今の社会で、その衝動を発揮すれば制裁が待っている。

間違っていると判断される。


その人をが平穏に生きていくためには、

自然と湧き上がってくる衝動を、永遠に理性で抑え続けなければならないわけだが

そんなのは地獄だと思う。


その人の中で、その衝動は正しいものなのだから。


これは、妄想の中の人物だが、このような人物が存在しないかというと

ながちありえない話では無いと思う。


自然と湧き上がってくる感覚を抑えながら生きるという点で

妄想上の人物と自分を重ねてしまい、少し悲しくなった。


試しに集中してみる

こんにちは。

わいつーです。


改めて気づいたけど、仕事上で僕にはマルチタスクは無理だと言う事だ。

もっと正確にいうと

何か作業している時に、別の作業をしなければならなくなると、作業のペースが落ちる。


元々マルチタスクができない自覚があったので、今日デスクワークをしている時に試してみた。


試した内容は

①周りの声は一切耳に入れず、電話も取らず、事務作業を進める

②周りの声を逃さないようにし、電話を気にしながら、事務作業を進める


支障が出てはいけないので、短時間で試したが

同じぐらいのボリュームの事務作業でも、圧倒的に①が早い。


②では結果的に、話に参加せず電話も取らなかったので、他に時間を取られなかった。

ただ、意識が分散して、作業が遅くなるのだろう。


たぶん健常者の人も、集中した方が早いのは同じだと思うのだが、僕は極端な気がする。


そして、短時間にも関わらず、疲れ方が違う。

意識を周りに飛ばしている分だけ、顕著に疲れる。


という自分の特性を試してみたけど

今の職場で周りの情報をシャットアウトしてしまうと仕事にならない。


発達障害に向いている職業で、研究者というのを腐る程見かけるけど

僕の場合は、一つに集中するという意味で、あながち間違いではないかもしれない。


ただ、研究者になったところで

別の特性が発揮されて、うまくいかないという結果は容易に想像できる。


かなしいかな。

誘う方が有利

こんにちは。

わいつーです。


近くを歩いていた少年達の、会話を元に考えました。


会話の内容を簡単に言うと

少年Aが少年Bを遊びに誘ったけど、少年Bは行きたくなさそう。

しかし、少年Aはノリが悪いだの、何で行かないのだの、説得していた。


結果的にどうなったかはわからないが、この光景を見て考えた。


この世界は、誘った方が有利で、誘われた方が不利になっている気がする。


立場としては平等なはずだ。

しかし、誘うには筋の通った理由を求められないが

誘いを断る場合には、筋の通った理由が求められる。

こんな感じのルールが、ぼやーっと存在する気がする。


行きたいから行こう、はオッケー。

行きたくないから行かない、はダメ。わがままの烙印を押される。


変な世の中だなと思った。


皆さんも疲れている

こんにちは。

わいつーです。


ブログについて考えていたら

当たり前だよ、って内容かもしれないけど、今更気づいた事があった。


それは

ブログのネタが無いのは、インプットが無いからだという事。


仕事で疲れている時は、ブログが書けなかった。

疲れている時は、呼吸が乱れるぐらい本格的だ。


元々は、疲れているから書けないと思っていたけど

振り返ってみると、時間も含めて自分に余裕が無かった場合が多くて

ニュースやSNSをチェックできていない事の方が大きいんじゃないかと感じた。


そんな時は入ってくる情報がないから、どれだけ頭を振り絞っても、ネタが出てこない。

疲れていて振り絞る事も甘いし、振り絞る情報も無いというわけである。


ブログって本来、そういうお堅い物ではないと思うけど

日常の感想を日記のように書いていたら、「疲れた」しか出てこない気がする。



「疲れた」ネタの多い僕ですが、SNSをチェックしていると(特にTwitter

やはりASDADHDの人は、疲れやすいようだ。


疲れやすいというと、身体が弱いというイメージを持たれるかもしれないが、それは違う。

ただ「疲れやすい」より良い表現がないから「疲れやすい」とする。


疲れる理由で、多く目にするのは

日常の行動一つ一つに無駄な力が入ってしまうから。


普通の会話でも、耳からの情報に弱いから聞く事に頭を使いすぎて疲れる。

当事者としては、それぐらい頭を使わないと聞き流したり、話が理解できないのだ。

しかも、これが本人の自覚無しに行われるから、勝手に疲れるし、その疲れを止められない。


元々、疲れやすいのは自分だけかと思っていたけど、そうではないみたい。

と同時に、当事者の皆さんも疲れやすい事に悩まされているのだと。

本当に困ったものである。

続・ハルオサンのブログをよんで

こんにちは。

わいつーです。


先日紹介したハルオサンのブログを、何故か読み返してしまう。

https://www.keikubi.com/entry/2018/10/28/175934

(金銭が発生する等の理由で紹介しているわけではありません)


新たに感じたのは、やはり日本人は仕事で人を評価しすぎだという事。


本当に、仕事の成績や能力・人柄が、個人としての魅力に直結しているだろうか。

ここでいう魅力とは、プライベートな空間や時間でも付き合いたいと思うかどうか。


この物語に出てくる教官なんか、低俗な人物だと思うけど

仕事のうえでは、優秀な人物として教官の立場にいるのだろう。

仮に、友達が仕事上でこのような行為をしていたら友達やめるわ。


発達障害で仕事ができなくても、個人としての魅力がある

と、僕が発達障害を美化している、と疑うかもしれない。


そう言いたいのはやまやまだけど

そもそも、それぞれは直結しないと言っているのだから、美化もクソもない。


ただ、仕事の成果以外は、せめてまともに生きていきたいと思う。

他人のブログを読みました

こんにちは。
わいつーです。

↓のブログを拝見しました。
少し長く感じるかもしれませんが、読んで欲しいです。

自分に当てはめながら、読みました。
平常心ではいられない内容で
なんと表現したら良いか分からない、自分の語彙力の低さに参っている。

僕も、しょうもないミスとか忘れ物をするから
こういった環境であれば、同じ目に会う可能性を考えると、恐ろしい。
たぶん、すぐに辞めていただろうけど。

このハルオサンの場合は
夢や憧れが作用して、なかなか辞められなかったようだ。

あと、これは連帯責任とか厳しさでは無く、ただの暴力とイジメではないかと思う。

そういう世界もあるんだよ、と言われればそれまでですが
その一言で済ませていては、良くならないし何も変わらない。

ただ、一つの職場規模ではなく
日本の、厳しければ厳しいほど良い、というわけわからない風潮から変えなきゃいけない気がするから、実現は遠い。

発達障害も、自分の中から無くなる可能性はほぼ無いけど
腐らずに、少しは改善しようという気持ちで向かいあっています。
実現は遠いけど。